
戦争アニメ映画の名作『火垂るの墓』。初めて観たとき、胸が締めつけられるような感情を抱いた方も多いのではないでしょうか?
しかし、あの物語は本当にあった出来事なのでしょうか? そして、作中に登場する街や風景は実在するのでしょうか?
この記事では、
-
『火垂るの墓』はどこまでが実話なのか
-
実在する舞台や聖地巡礼スポット
-
作者・野坂昭如の人生と作品の関係
-
当時の神戸・西宮の戦争被害と歴史背景
について、写真や史実を交えながら詳しく解説します。映画をすでに観た方も、これから観る方も、より深く作品を理解できるはずですよ。
※ 本記事は歴史的事実と映画作品を解説するものであり、戦争を肯定・美化する意図はありません。
『火垂るの墓』は実話なの?
結論から言うと――
『火垂るの墓』は、原作者・野坂昭如(のさか あきゆき)氏の戦争体験をもとに描かれた“実話ベースのフィクション”といえますね。
物語の核には、第二次世界大戦末期に兵庫県・神戸市や西宮市で実際に起きた出来事――神戸大空襲、疎開生活、そして妹の死――があり、それらが強く反映されています。
原作短編小説『火垂るの墓』は1967年10月、文芸誌『オール讀物』(文藝春秋)に掲載されました。
翌1968年には、同じく戦中の経験をもとにした短編『アメリカひじき』とともに第58回直木賞を受賞しています。
この受賞により、作品は日本文学の中でも特に高く評価される戦争文学のひとつとなりました。
映画版『火垂るの墓』はこの小説を原作にしつつ、高畑勲監督の手によって映像表現や演出が加わり、より感情に訴える反戦アニメとして仕上げられています。
実際にあった出来事と創作が融合したことで、世界中の観客に深い印象を残す名作となったのですね。
『火垂るの墓』実際の出来事はあるの?
映画『火垂るの墓』を観ると、ほとんどの人が一度はこう思うはずです。
「これって全部本当にあったことなの?」
答えは――実際にあった出来事と創作が混ざっているという形です。
物語の核は作者・野坂昭如氏の実体験に基づきますが、映像化にあたって演出や脚色も多く加えられています。
実際にあった出来事とは?
実際の出来事 | 映画での描写 | 補足背景 |
---|---|---|
1945年6月5日 神戸大空襲で家を失う | 冒頭の空襲シーン | 神戸大空襲は市街地の21%を焼失。 |
妹が栄養失調で死亡 | 節子の衰弱と死 | 戦後の食糧不足は深刻で、栄養失調は全国的な死因の一つ |
空襲後、西宮の親戚宅に身を寄せる | 親戚との関係悪化の描写 | 疎開先では家計や食料事情の悪化から軋轢が生じやすかった |
食料不足で盗みを働く | 畑の野菜を盗む場面 | 当時の孤児は窃盗や物々交換で命をつなぐことも多かった |
これらは、野坂氏が実際に体験したか、もしくは戦中の現実として非常に近い出来事です。
特に「妹の栄養失調による死」は、物語全体の感情的な核となっていますよね。
創作・脚色された部分は?(映画独自の演出)
-
駅構内で清太が息絶えるシーン
映画冒頭、三ノ宮駅を思わせる構内で清太が息絶える描写は、物語を強く印象付けるための映画的演出であり、実際の記録には残っていません。 -
節子の言葉や仕草の細部
節子が見せる天真爛漫な笑顔や「お兄ちゃん、おはじき食べたい」といった台詞は、監督・高畑勲の創作によるもので、視聴者の感情移入を深めるための要素です。 -
防空壕生活の具体的な場所設定
西宮市の「ニテコ池」周辺がモデルとされていますが、映画の防空壕内部や生活描写はあくまで創作で、実際の構造や環境とは異なります。
こうしてみると、『火垂るの墓』は実際の出来事の重みと映画的演出が融合した作品であり、そのバランスが観る者の心に強烈な印象を残しているようですね。
『火垂るの墓』舞台となった場所とモデル
『火垂るの墓』の物語は、兵庫県の神戸市と西宮市を主な舞台としています。
神戸が火垂るの墓の舞台だって
何回も見てるのに初めて知った。 pic.twitter.com/eQBtF4V1WE— がくも (@ithimi_1128) July 30, 2025
映画には当時の地形や建物が忠実に描かれており、現在も多くの場所が“聖地巡礼スポット”として訪問可能です。
ここでは、特にファンや歴史研究者の間で有名なロケ地モデルをご紹介します。
阪急・夙川駅(兵庫県西宮市)
モデルになった理由
映画冒頭で、清太が駅構内の床で息を引き取るシーンは、この阪急夙川駅がモデルのひとつと伝えられています。
現地の様子
駅舎は近代的に建て替えられていますが、周囲には夙川の流れや落ち着いた住宅街が広がり、映画の面影を感じられます。
ニテコ池(兵庫県西宮市高塚町)
防空壕生活のモデルとされる場所
清太と節子が暮らした防空壕のモデル候補のひとつが、このニテコ池周辺です。戦時中、この地域には実際に防空壕があり、空襲時には住民が避難していました。
現地の特徴
現在も池のほとりに防空壕跡が残り、近隣には「火垂るの墓記念碑」も設置されています。訪れると、戦時中の緊張感と静けさが交錯する独特の空気を感じられます。
アクセスは阪急「苦楽園口」駅から徒歩約15分。住宅地の中にあり、静かで落ち着いた環境です
夙川公園(兵庫県西宮市)
モデルになった場面
清太と節子が川沿いを歩く場面は、この夙川公園の風景と重なる部分があります。
この場所の現在の魅力
全長約2.8kmにわたる川沿いには桜並木が続き、春には多くの花見客で賑わいます。
穏やかな景色と、作品に描かれた厳しい時代との対比が印象的です。
神戸・三宮周辺
モデル背景
焼け野原として描かれる街の情景は、神戸市中心部、とくに三宮周辺の戦災を想起させます。
戦争被害と現在
1945年6月5日の神戸大空襲では、市街地の約21%が焼失し、多くの市民が家を失いました。現在の三宮は高層ビルが立ち並ぶ繁華街となっていますが、市役所周辺や震災モニュメントなど、歴史を伝えるスポットも点在しています。
聖地巡礼の注意点
これらの場所は今も人々の生活の場です。
訪問の際はマナーを守り、写真撮影は周囲への配慮を忘れないようにしましょう。
また、防空壕跡など立入禁止区域には入らないことが大切です。
原作小説と映画の違い
『火垂るの墓』は原作小説とアニメ映画で、描かれ方や人物像、結末が大きく異なります。
映画は感情を揺さぶる演出が多く、兄妹愛の切なさを前面に押し出していますが、原作は淡々とした筆致で「戦争の現実」と「作者の後悔」を強く描いています。
詳しくは別記事で徹底比較していきます。👉準備中
まとめ
『火垂るの墓』は、作者・野坂昭如氏の実体験をベースにしたフィクションです。
物語の舞台は兵庫県・神戸市と西宮市。神戸大空襲や疎開生活、妹の死など、戦争当時の現実が色濃く反映されています。
『火垂るの墓』は単なるアニメ映画ではなく、戦争の記憶を今に伝える貴重な文化遺産とも言える存在です。
物語の背景にある史実を知ることで、作品への理解はより深まり、観るたびに胸を締めつけられる感情の重みも増すでしょう。
見るたびに涙がこみ上げる――それは、この物語がただのフィクションではなく、実際の悲劇のかけらで紡がれた物語だからなんですね。
📌 もっと深く『火垂るの墓』を知りたい方へ